災害医療・僻地医療を経験し診療看護師へ。徳洲会は自分の目指す看護が追求できる場所
2009年に岸和田徳洲会病院へ入職。救急外来・ICU・循環器病棟を経験。2013年には奄美大島・2022年には徳之島で離島・へき地医療を経験。2022年に診療看護師(Nurse Practitioner:NP)認定資格を取得し、現在は手術室に勤務。
<目次>
・サラリーマンから看護師へ
・私の看護観の原点
・人生のターニングポイント
・岸和田徳洲会病院の魅力
・徳洲会で働く人たちの共通点
|サラリーマンから看護師へ
私が看護師になったのは31歳です。その前は、建築資材の輸入販売を手掛ける商社で働いていましたが、リーマン・ショックの影響で会社が倒産。大学を卒業して大企業に就職し、それまで順風満帆だと思っていた人生が一気に崩れていくようでした。親もショックを受けていましたね。
そこから医療の道へ進むのですが、大学の単位を使えば1年で臨床工学技士(CE)の資格が取れるということで、初めはCE志望でした。そこから当時働いていた病院の看護部長さんの強い勧めがあって看護の世界へと方向転換していくのですが、振り返ると人生の岐路で様々な人との出会いがあって、ここまで歩んできたなと感じます。
|私の看護師キャリア
前職は泉佐野市にある救命救急センターにて勤務しており、岸和田徳洲会病院には2009年に中途で入職しています。2013年には奄美大島・2022年には徳之島で離島・へき地医療を経験させていただきました。そこでの体験がきっかけで、診療看護師を目指して愛知医科大学大学院修士課程へ進学し、2022年に診療看護師(NP)認定資格を取得しました。現在は手術室で麻酔科医と協働して、術中麻酔管理を担当するほか、院内における看護師の臨床教育・看護師特定行為の指導、院外でも看護学校での薬理学・国家試験対策等の講義を担当しています。
|私の看護観の原点
2011年の東日本大震災での災害支援で、私は南三陸の避難所だったベイサイドアリーナで活動しました。そこには医療が必要にも関わらず、移動ができない高齢者の方々がいました。救急車に医師と乗り込み、周辺地域の家屋を一軒ずつ回っていたところ、あるお宅で寝たきりの高齢女性と一緒に暮らす息子さんの2人家族と出会いました。お家の中に入ると、尿道カテーテルからの尿は濁り、オムツは尿漏れで充満していました。私は持参していたオムツに交換し、お話をお伺いしました。高齢女性の方が「ありがとう」とポケットから手汗でくっついた小銭を私に渡してきた時、思わず涙がこぼれました。『一体自分には何ができるのか?』『何のためにここにいるのか?』自問自答していました。何も出来なかった悔しさやもどかしさが、鮮明に焼き付いています。自分の看護観は、ここにあると思います。
|人生のターニングポイント
2011年の東日本大震災での災害支援を経験し、『自分は看護師としてどうあるべきか』と、しばらく自問自答が続いていました。そんな時、2013年に奄美大島での離島・へき地医療を経験する機会をいただきました。そこで私の看護師人生を大きく変える出来事を経験することになります。
当時奄美大島の中心にまたがる山間部ではトンネルを通す工事が行われており、そこで崩落事故が発生しました。工事現場の作業員の方が救急搬送されてきたのですが、残念ながら一命を取り留めることができませんでした。大阪などの都市部に置き換えてみると、いくつも救命救急センターがあって、すぐに搬送できる状況にあります。しかし離島・へき地では医療資源が乏しく、何もできないという現実を突きつけられました。その時、私の中で東日本大震災の時に見た『海外の医療者・看護師』の姿がフラッシュバックしてきました。東日本大震災では、アメリカ軍やイスラエル軍の医療チームよる支援が行われ、元々は医療機関に属していた診療看護師(NP)たちと出会いました。私も支援に行っている期間、海外の診療看護師たちの話を色々と聞かせていただく中で、「こんなにできることが違うのか」と驚いた記憶があります。その時の記憶と奄美大島での体験が重なった瞬間、私の看護師として進むべき道が一気にクリアになりました。
都市部で働く私の周りには、トレーニングできる環境・勉強したいと思えば専門機関で学べる環境が揃っていました。こんなに恵まれた環境にいるのに、勉強しないなんて申し訳ない。海外の看護師たちのように、もっとできることを広げたいと考えるようになりました。奄美大島から岸和田徳洲会病院に戻ってきてからは、救急外来と集中治療室へそれぞれ異動希望を出して経験を積ませていただき、その延長線上で大学院に進学をして診療看護師(NP)認定資格の取得に至りました。岸和田徳洲会病院に来てから、様々な経験と人との出会いを経て看護師としての目標ができ、その目標の実現を病院や看護部長に後押ししてもらえたおかげで、今の私があると感じています。
|徳洲会の理念に共感
私が惹かれたのは、徳田虎雄先生の理念。公立病院もできなかったような、病院のないところに病院を建設。ただでさえ医師不足と言われている中で、北は北海道・南は石垣島まで医師の派遣システムを作られた。ダヴィンチなど最先端の高度治療に取り組んでいる。そうした一つ一つの積み重ねで、全国に広がる徳洲会グループのネットワークが構築されている。その中で、私も様々な経験をさせてもらいました。
|岸和田徳洲会病院の魅力
岸和田徳洲会病院に来て感じた魅力の一つが、いろんな人がいるということ。色んなところで教育を受けてきた人が、多様な経験・多様な考えをぶつけ合っているのが徳洲会の特長です。それは、看護師に限らず医師や他のコメディカルも同じです。多様性が認められている病院だからこそ、働くスタッフのそれぞれ違ったさまざまな目標を応援してくれる風土を感じることができます。私自身、看護師になるのが遅かったのですが、岸和田徳洲会病院に就職していなければ、今頃看護師は辞めてしまっていたかもしれません。ここでのさまざまな経験、そこで出会った人たちからもらった刺激の集合体が今の私です。
|庶民的なNPを目指して
例えば助産師であれば、看護師の延長線上で『妊娠から出産・育児に至るまで、母子の健康をサポートする職業』ということが、医療者に限らず一般の方にもある程度認知されていると思います。私は、診療看護師も同じように地域の方々に認知されるようにしたい。そのためには院内に限らず、院外でも診療看護師としての活動の幅を広げ、『庶民的なNP』を目指していきたいと思っています。
|徳洲会で働く人たちの共通点
人が好きなスタッフが多い。どんなに忙しくても人が好き=患者さんが好きだから、丁寧に接することができるし、そんな先輩たちの背中を見て、若手スタッフも成長していける環境だと思います。自分が目指す看護が追求・創造できる場所で、あなたも一緒に働いてみませんか?
(写真・インタビュー・文:MottoBrand 福井勝雄)
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