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人との出会いがつないだキャリア。専業主婦から、がん放射線療法看護認定看護師へ

大阪府岸和田市にある三次救急病院・岸和田徳洲会病院の予約外来で働くがん放射線療法看護認定看護師

がん放射線療法看護認定看護師 村井/予約外来所属

35歳まで専業主婦として子育てに専念。子どもの小学校入学を機に岸和田市医師会看護専門学校に入学。准看護師として勤務しながら河﨑会看護専門学校を卒業し、40歳で看護師免許を取得。2017年4月に岸和田徳洲会病院に入職。脳神経外科病棟・産婦人科病棟・予約外来・救急外来を経験後、認定看護師教育課程(久留米大学)を修了。がん放射線療法看護認定看護師として現在は予約外来に所属し、主に放射線治療室での看護実践を担う。

<目次>
専業主婦から看護師へ
認定看護師との出会い
「目指すなら今しかない」
がん放射線療法看護の役割
挑戦する職員を後押しする病院

|「何かしなければ」—震災と義父の癌が、専業主婦の私を動かした

20歳で結婚して以来ずっと専業主婦で、看護師を目指したのは、35歳を過ぎた頃のことです。転機となったのが、東日本大震災です。あの時、世の中全体に「自分には何ができるだろう?」という空気が漂っていたように思います。テレビをつければ連日その話題で、私自身も漠然とそんなことを考えていました。同時に、年齢のことも頭にありました。何か始めるなら、ギリギリ40歳までに動かないと、もう無理かもしれない。そう感じていたタイミングでもありました。

ちょうどその頃、義父が肺がんのステージ4と診断されます。元気に見えていた義父に余命宣告が下され、これからどうなっていくのかが見えない不安の中、ちょうど子どもの幼稚園のつながりで知り合っていた看護師の友人に相談するようになりました。
義父のこれからについて相談しながら、「私も何か資格を取りたい」という話を打ち明けると、友人は「看護師が向いてるんじゃない?一回チャレンジしてみたら」と言ってくれました。深い根拠があったわけではなく、ノリに近い言葉だったかもしれません。でも、その一言が、私の背中を押してくれました。

大げさな動機があったわけではありません。ただ、タイミングと縁が重なったその瞬間に「じゃあ、一回だけ試してみよう。学校に受からなかったら諦めよう」と決心したのが、私の看護師人生の始まりでした。

|急性期での頑張りが、患者さんの予後を変える

河﨑会看護専門学校に合格し、学業と並行して准看護師として働き始めました。地域の市民病院で、約185床を有する中核病院でした。

その病院の外来で、右も左もわからない私に、診察の場でいろいろなことをご指導下さるリハビリテーション専門医と出会い、その医師から印象的な言葉をかけてもらいました。「急性期でどれだけリハビリを頑張れるかで、その患者さんのその後のADLに大きく影響を与える」その言葉が、私の中でとても印象に残っていました。

40歳で看護師の国家試験に合格し、急性期にチャレンジできるのは、今しかない。そう思い、急性期看護に力を入れている岸和田徳洲会病院への入職を希望しました。

大阪府岸和田市にある三次救急病院・岸和田徳洲会病院の予約外来で働くがん放射線療法看護認定看護師

|壁にぶつかり、退職を考えた。それでも辞めなかった理由

当院に入職することができ、脳神経外科病棟への配属を希望しました。しかし、現実は想像以上に厳しいものでした。年齢を重ねてから急性期の現場に飛び込む大変さは、実際に働いてみて初めてわかりました。周りには若い看護師たちがいて、自分だけがついていけない感覚がある。性格的な部分もあったと思いますが、精神的にかなりしんどい時期が続きました。

師長の計らいで、しばらく産婦人科病棟でも経験を積む機会をいただきました。「お子さんも育てているし、そちらの経験も生きるんじゃないか」という言葉は、ありがたかったです。でも、それでも心の中のしんどさは晴れず、ついには「この病院を辞めようか」と考えるようになっていました。

看護部長との面談を重ね、徳洲会グループの他施設への異動も視野に入れて動いていた頃、当時の副看護部長が声をかけてくれました。「予約外来に来て、一緒に働かないか」その言葉が、もう一つのターニングポイントになりました。

|予約外来で出会った、憧れの認定看護師

その副看護部長は、予約外来の所属長でもありました。その方に引き合わせてもらう形で、予約外来への異動が決まりました。「ここで頑張ろう」と気持ちを切り替えて、新しい場所で働き始めました。その外来で出会ったのが、がん放射線療法看護認定看護師の先輩です。副看護部長が「わからないことはこの人に聞いたらいい」と紹介してくださった方で、私はその方の仕事ぶりを間近で見るようになりました。

放射線治療を受ける患者さんに対して、副作用の出現時期や生活への影響をわかりやすく丁寧に説明し、目に見えてこわばっていた表情を和らげていく。専門的な知識と温かい寄り添い方で、患者さんの不安を安心へと変えていく姿に、深く感銘を受けました。「私も、こんな看護師になりたい」と素直に思いました。

その先輩が「認定を目指してみたら?」と言ってくれました。でも当時の私には、認定看護師はあまりに遠い存在でした。キャリアも浅いし、年齢も重ねている。「はい、やります」と言えるような自信は、まったくありませんでした。その言葉を受け取りながらも、ずっと心の中で断り続けていました。

大阪府岸和田市にある三次救急病院・岸和田徳洲会病院の予約外来で働くがん放射線療法看護認定看護師

|「目指すなら今しかない」師長の言葉が背中を押した

その後、救急外来への異動が決まりました。救急外来というと救急車で搬送される患者さんに対応する、慌ただしい場所というイメージをお持ちの方も多いかもしれまん。しかし実際には、体調を崩され、自ら来院される患者さんも多く、さまざまな不安を抱えながら順番を待っている方に声をかけることが自分には向いているかもしれないと、少しずつ感じるようになっていました。

そんな頃、救急外来の師長との面談がありました。「何か夢や希望はないの?」と問われ、予約外来での経験や、先輩から認定を勧められていたことを話しました。すると師長は「目指すなら今しかない。もう間に合わなくなるよ」と背中を押してくれました。

看護師を目指した時と同じだ、と思いました。チャレンジするなら、今しかない。受けてみて、ダメだったら諦めよう。

師長は願書の準備も一緒に手伝ってくれました。提出用症例は5症例、書いては修正してもらい、また書いては修正してもらう。約2か月かけて準備した願書を、ようやく提出することができました。そして受験して、認定看護師教育課程に合格しました。

「受かったからには、やるしかない」また導かれるように、次の扉が開きました。

|知識より大きかった。全国から集まった仲間との時間

私が受験した当時、がん放射線療法看護の認定看護師教育課程は全国でわずか2か所しかありませんでした。静岡県にあるがんセンターと、九州の久留米大学。飛行機で1時間ほどで行ける久留米の方が通いやすいと判断し、九州での学びを選びました。

4月に入学してまずeラーニングが始まり、約350時間もの動画受講を救急外来での勤務と並行して進めました。8月からは久留米大学の本校に入り、勉強と実習の毎日でした。岸和田に戻って特定行為の実習を受ける時期もあり、3月末に卒業するまでの約1年間、仕事と学業を行き来する濃密な日々でした。

その時間の中で、知識以上に大切なものを得たと感じています。それが、仲間との出会いです。がん放射線療法看護の課程は全部で9人という少人数で、久留米大学ではがん薬物療法看護や緩和ケアの認定課程とも一緒に学ぶ機会がありました。全国から来た、さまざまなキャリアを持つ仲間です。みんな志が高く、圧倒されることもありましたが、互いの得意を持ち寄ることで、一人ではとても越えられなかった壁を乗り越えることができました。

10月半ば頃からでしょうか、朝8時から集まって、授業が開始されるまでの時間を朝学と称して、みんなで一緒に勉強しました。この歳でそんなことをするとは想像もしていませんでしたが(笑)、バラバラだった9人が卒業の頃には、かけがえのないチームになり、チームで協力することの大切さを、体で学んだ時間でした。その経験は今も、現場での仕事の向き合い方に生きています。

大阪府岸和田市にある三次救急病院・岸和田徳洲会病院の予約外来で働くがん放射線療法看護認定看護師

|不安を安心に変える。それが放射線療法看護の役割

認定看護師になったからといって、やることが劇的に変わるわけではありません。

でも、少しずつ変化を感じるようになっています。それは、患者さんの言葉に耳を傾ける深さが変わったということです。放射線治療は目に見えない治療です。副作用がいつ出るか、どのくらいしんどくなるか、日常生活はどう変わるか。さまざまな不安を抱えて治療室に来られる患者さんや、そのご家族に寄り添うために、専門的な知識と経験が必要だと改めて実感しています。

忘れられないのは、コロナ禍に外来で放射線治療を続けた男性患者さんのことです。本来は入院で治療が望ましい状態でしたが、面会制限でご家族と会えなくなることへの不安から、外来での治療を選ばれました。毎日付き添われていた奥様も、強い不安と葛藤を抱えながらご主人を支えておられました。

治療の時間を活用して奥様に声をかけ、思いをゆっくり伺いました。「毎日が、不安で押しつぶされそうで、主人の前では涙は見せられないから」と言いながら、奥様は涙をこぼしながら話してくださいました。「話を聞いてくれてありがとう。少し楽になりました」という言葉をいただいた時、看護師として、自分がここにいることの意味を感じました。患者さんだけでなく、そのご家族まで支えていくことが、がん放射線療法看護の大切な役割なのだと実感しています。

放射線療法は再発予防目的で治療される方もいれば、「この治療法しかない」と放射線療法に可能性を託して治療を受けられる方もいます。治療を乗り越えることが、その方の生きる力になっているケースもあります。そういう方に本当に必要なことを届けるために、研修会や学会にも積極的に参加して、学び続けていきたいと思っています。

|挑戦する職員を後押しする、岸和田徳洲会病院の風土

私が認定を目指せたのは、間違いなく周りの方々のおかげです。自分一人の力では、あの一歩は踏み出せませんでした。

予約外来の副主任はがん薬物療法認定看護師で、ずっと逃げていた私に、「一緒にやろう」「もう願書出したん?」と何度も声をかけてくれていました。看護部長は、私が辞めることを考えていた頃からずっと相談に乗ってくれていた方で、「やっと夢が見つかったね」と本当に喜んでくれました。救急外来の師長からは、願書の準備に至るまでご支援いただき、みなさんの後押しがなければ挑戦できませんでした。

資金面でも、病院が学費をサポートしてくれる資格取得支援制度があります。そんな岸和田徳洲会病院には、多くの認定看護師や診療看護師が活躍しています。救急やクリティカル、緩和ケア、がん薬物療法看護など、さまざまな分野のスペシャリストが身近にいます。勉強会や委員会でも一緒に動ける先輩が近くにいるということは、「目指してみようかな」という気持ちが生まれた時に、とても心強い環境です。

辞めることを考えていた時も、認定看護師を目指そうか迷っていた時も、大変な時にはいつも誰かがそばにいてくれました。

大阪府岸和田市にある三次救急病院・岸和田徳洲会病院の予約外来で働くがん放射線療法看護認定看護師

|きっかけを大切に。その先に、広がる世界がある

振り返ると、私のキャリアの節目にはいつも誰かとの出会いがありました。友人の一言、外来で出会った医師の言葉、副看護部長からの誘い、がん放射線療法看護認定看護師の先輩の姿、救急外来の師長からの後押し。計画的に動いてきたわけではなく、きっかけとタイミングに従ってきたというのが正直なところです。

認定看護師の教育課程に飛び込んだ時は、「えらいところに来てしまった」と本気で焦りました。向こうの先生に「あら、今頃気づいたの?」と笑われたくらいです。それでも、仲間に助けてもらいながら、なんとか乗り越えることができました。大変さよりも、得られるものははるかに大きかったと感じています。知識だけでなく、看護師としての視野が広がり、人と支え合うことの大切さを体で学ぶことができました。

これから認定看護師などの資格取得を目指している方に伝えたいのは、「迷っているなら、一歩踏み出してみて」ということです。迷うということは、どこかにやりたいという気持ちがある証拠。チャレンジして、もしうまくいかなくても、それはそれで納得できる。でも迷ったまま動かなければ、その先は見えません。

私は積極的に目標を立ててきたタイプではありません。どちらかといえば、きっかけがないと動けない方でした。でも、きっかけを大切にして動いてきたことで、今があります。一人でも多くの患者さんに安心して治療に臨んでもらえるよう、オンコロジー委員やがん相談支援室の活動を通じて、これからも地域のがん医療に貢献していきたいと思っています。

(写真・インタビュー・文:MottoBrand 福井勝雄)


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