DMATへの夢を叶えるために。新人看護師が壁を乗り越えて成長するまで
藍野短期大学部看護学科を卒業後、2020年4月に岸和田徳洲会病院に新卒で入職。循環器内科にて勤務。
<目次>
・看護師を目指したきっかけ
・挫折を経験、看護の楽しさを学ぶ
・「DMAT」が具体的な目標に
・岸和田徳洲会病院の良いところ
|看護師を目指したきっかけ
小学校6年生の時に東日本大震災が起き、現地の災害の様子がテレビに映っていました。私の地元は和歌山県なので、南海トラフ巨大地震のことを考えると他人事には思えない、衝撃的な出来事でした。
震災をきっかけに「将来は、大切な人を守れる存在になりたい」という気持ちが強く芽生えました。そして、被災地で災害救助にあたるDMAT(災害派遣医療チーム)の姿をテレビで見て、「私もDMATに入って、人助けをしたい」と考えるようになりました。これが、私が看護師になろうと決心した理由です。
|就職してからの苦労
DMATに入るために看護師になった私は、災害拠点病院である岸和田徳洲会病院に入職をしました。その頃はまだ『どうすればDMATに入れるのか?』といった具体的なことは特に調べていませんでした。正直なところ、就職する前の私は「看護師は最初の3年間が基盤。3年働いたら和歌山に戻ってDMATを目指そう」といった甘い考えでいました。
しかし、実際に看護師として働き始めると現実はそう上手くはいかず、目の前のことに必死で余裕のない毎日でした。学生の時とは違って求められる技術は高く、膨大な知識を頭に入れなければいけない。新しい人間関係にも苦しみました。いっぱいいっぱいの中でも「自分の行動一つが患者さんの命に関わる」というプレッシャーがつきまとう日々で、頭からは「DMATになりたい」という目標は消えてしまうほど目の前のことに必死な1年目を過ごしました。
|挫折を経験、看護の楽しさを学ぶ
2年目では、循環器内科病棟の中でもカテーテルやペースメーカー等の治療前後の患者さんを看るチームに変わり、また1年目とは違った知識が求められるようになりました。新しく覚えなければいけないことの勉強に追われる毎日を過ごし、初めて「看護師を辞めたい」と挫折しそうになったのもこの時期でした。
それでも、親身になって教育・指導してくださる先輩方に支えられて、少しずつ自分で考えて行動したことが看護に繋がっているということを実感できるようになっていきました。デバイス治療の不安を感じておられる患者さんの話を傾聴してあげることで安堵の表情が見られたり、カテーテル室の看護師や臨床工学技士といった他部署・多職種スタッフと連携しながら一緒に患者さんを看る経験を通して、チーム医療の醍醐味や看護の楽しさを感じられるようになっていきました。
「もっとカテーテル治療やペースメーカーの知識を深めて、患者さんに貢献したい!」挫折を乗り越えた先で、そのように思えたことは私にとってはすごく大きな経験でした。
|自分を見つめ直し、後輩に向き合う
3年目になると、実地指導者の役割を与えられました。しかし、当時の私はまだ教わりたい人間であって、教える立場ではないと自分で思ってしまっていました。もともと極度の人見知りで他人に興味がない性格で、後輩指導とはいえ人に何か指図するということが苦手だった私はプリセプティに向き合うことができませんでした。
しかし、そんな指導者失格な私に対してプリセプティの子が頑張って歩み寄ろうと努力してくれていたことに気付かされました。病棟主任からは「あなたが変わらないとダメ」と喝を入れられ、周りの実地指導者たちは私の代わりにプリセプティを影でフォローしてくれていました。
プリセプティや周りの実地指導者にたくさん迷惑をかけてしまったことをすごく反省し、「自分が変わらなければ」とようやく気付くことができ、そこからはプリセプティに向き合うと決め、積極的にコミュニケーションを取るように変わりました。
3年目を振り返ると、『人と向き合う』ということがどういうことかを学ぶことができた1年でした。今では「どれだけ周りが見放そうと、私だけは絶対に味方になる」という気持ちで後輩指導にあたるようになりました。
|「自分はどうなりたいのか?」を自問自答
看護師として働いて3年という区切りが来た頃、ふと「自分のこれからはどうか?」ということを考え始めました。看護師として走り続けた3年間を振り返ると、人としても看護師としても成長できた期間ではあったけれど、とてもしんどかった。そして、もともとの夢であった「DMATに入りたい」という目標がどれだけ大変なことかを現実的に考えるようになっていました。
「私以外にもDMATに入りたい人はたくさんいるはず」
「今まで以上に頑張れる覚悟はあるのか?」
自問自答を繰り返しました。半年くらい悩み、夢を諦めて看護師を辞めようかとも考えていました。
またその頃、看護師の最初の苦しい3年間私を支えてくれた尊敬する先輩たちが病院を巣立って行き、別れも経験しました。自分一人だとここまで頑張って来れなかったことを身に染みて感じていたので、そんな大好きな先輩たちが去った後、今まで以上にしんどい道を歩む覚悟が持てずにいました。
そんな時、カテーテル室で働いていた臨床工学技士の方の症例プレゼンを見る機会がありました。その方のプレゼン内容からは、その方が自分の仕事に誇りを持ち、ずっと努力を続けてきたことが伝わってきました。実際にその方と一緒に働いたことがある同僚の看護師仲間や医師、臨床工学技士の後輩たちは皆その方への信頼が厚く、周りからとても頼りにされている存在でした。
その方のプレゼンを見て感銘を受けた私は、
「自分の仕事に誇りを持ち、努力を続けることの大切さ」
「努力を続けることで、周りから信頼される看護師になりたい」
そして「やっぱりDMATになる夢を諦めたくない」という覚悟が決まりました。
岸和田徳洲会病院にはとてもレベルが高い、スペシャリティを持った多職種スタッフがたくさん在籍しており、そんな方たちと一緒に働くことでいっぱい刺激を受けて学べることがたくさんあります。
|「DMATに入りたい」が具体的な目標に
「看護師として努力を続け、将来はDMATに入る」という覚悟が決まってからは、前向きに自分に課題を課すことができるようになりました。BLSプロバイダーやMCLS(災害時の多数傷病者対応)といった救命救急に関する研修に参加したり、TMATの研修にも参加をしました。
仕事を前向きに取り組む中で再び実地指導者としての役割を与えてもらったり、チームのサブリーダーの経験もさせていただきました。チームの士気を下げないように仕事を遂行するにはどうしたらいいか。後輩とのコミュニケーションの取り方やリーダーシップ・指導を日々学んでいるところです。
|徳洲会の良いところ
徳洲会グループでは、全国に広がる病院ネットワークを活かして、日頃経験できない医療・看護を、グループ内研修を通して体験することができます。
私自身、僻地医療や離島医療といった医療資源が少ない場面での経験を積んでみたいという思いから、奄美大島の徳洲会病院での研修に参加させていただきました。そうした日常とは異なる環境での経験を通して、「もっと自分にできることがあるんじゃないか」と考えさせてくれる環境は、とても有り難いです。
「変わりたい」「成長したい」という人にとって、徳洲会はとても良い環境だと感じます。
|今後の目標
日々の業務を前向きに取り組み、様々な院内外の研修に積極的に参加をして学習を続けたことで、院内選考に選んでいただき、大阪DAMTに選出していただくことができました。今後は「日本DMATに入る」という目標に向けて、去年受けることができなかったACLSなどの研修にも参加していって、引き続き勉強を続けていこうと思います。
今では、チームリーダーを経験させてもらっており、チームを率いる責任や統一を図ることに苦悩していますが、患者さんに寄り添うことを第一に考え、少しでも患者さんの笑顔が見られるように、今働いている仲間と共に頑張っていきたいです。また、心不全管理やデバイス指導の知識も深め、臨床現場に活かしていきたいと考えています。
(写真・インタビュー・文:MottoBrand 福井勝雄)
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