週3日のパートから正職員へ。化学療法室で働き認定看護師の道へ
看護学校を卒業後、大阪市内の高度急性期病院の外科病棟で約10年間勤務。訪問看護での勤務、結婚・出産を経験し、2008年に岸和田徳洲会病院に入職。非常勤として勤務し始め、その後正職員に。がん薬物療法看護認定看護師の資格を取得し、予約外来副主任を勤める。
<目次>
・私の看護キャリア、化学療法室での仕事
・私の看護観、認定看護師の取得
・人生の最期に向き合う覚悟
・職場の雰囲気、徳洲会で働く人たち
|私の看護キャリア
新卒では大阪市内の約700床の高度急性期病院に就職しました。そこで10年ほど外科病棟で勤務していく中で、在宅医療・介護に興味を持ち、介護支援専門員(ケアマネージャー)の資格を取得。その後、訪問看護ステーションで勤務し、出産を機に退職。5年ほど看護師の仕事から離れていました。2回の出産を経て、看護師としての復職の場が岸和田徳洲会病院でした。当時はまだ子どもが小さかったこともあり、外来部門で非常勤として勤務をさせていただき、今は正職員として働いています。
|化学療法室での仕事
私の仕事は、化学療法を受けに来られた患者さんが安全に治療を受けられているか管理すること。そして、患者さん・ご家族への治療の説明や不安の解消、患者さんが在宅に戻った後に自身で副作用を自己管理(セルフケア)していくための支援や相談も大切な役割の1つです。地域の訪問看護師やソーシャルワーカーと連携することも必要です。介護支援専門員(ケアマネージャー)の資格を取得していたことや、訪問看護師として働いていた経験が今の仕事にも繋がっています。
|私の看護観
私は、父を膵臓がんで亡くしています。まだ化学療法室で勤務していない頃だったのですが、父を自宅で看取ったこと、私自身が患者さん・ご家族の思いを直接経験したことは、私の看護観にとても影響を与えたと思います。
少しでも患者さんが安心・安楽に治療が受けられるように。患者さんの持てる力を高められる、生命力の消耗を最小にできるように援助していきたいと日々心がけています。
|認定看護師の取得
私自身が家族をがんで亡くした経験をし、その後化学療法室で勤務するようになり、改めて「中途半端な気持ちで関われる場所じゃない」と思いました。自己学習はしていましたが、学べば学ぶほど化学療法の分野はとても深く、自分だけで勉強するには限界を感じていました。当時、一緒に働いていた師長が緩和ケア認定看護師で、その師長からの勧めもあって、がん薬物療法看護認定看護師の勉強にチャレンジしようと決めました。
|人生の最期に向き合う覚悟
「今の状態で化学療法をしても、命を落としてしまわれる」そのような状況の患者さんがおられました。化学療法を選択せずにゆっくりと最期の時間を迎える方が良いのではないか。そんな思いも抱いていたのですが、患者さんご本人の意思は「少しの希望でも化学療法に賭けたい」というものでした。最期まで患者さんご本人の意志を全うする、それだけの思いに寄り添うことは、とても重みを感じる大変な役割です。私たち看護師がしっかりとした知識を持ち、十分な説明を患者さん・ご家族にできるようにならなくてはいけないと日々感じています。
|職場の雰囲気
家庭の事情など自分の環境に合わせた働き方をさせてくれる病院だと感じています。私が最初に入職した時は子どもがまだ幼稚園に通っていた頃だったので、非常勤で9時~13時までの週3回くらいの勤務でした。子どもが小学校に入学したタイミングで勤務時間と回数を伸ばして働き、子どもが大きくなって正職員として働かせていただくようになりました。私のように子育てや家庭と両立しながら働いている看護師がたくさんおられて、みんなで協力し合って急なお休みが発生した時にもカバーし合って働くことができました。
子どもが大きくなって「また勉強したい!」となった時には、しっかり応援してくれる病院でもあります。認定看護師の資格取得支援や学会参加の補助など、勉強したい方へのバックアップはとても手厚いと思います。私が認定看護師の勉強をしている時にも、周りの師長や主任たちに相談に乗ってもらって、すごく助けてもらいました。
|徳洲会で働く人たち
職員の皆さんが持っている力を発揮できる場所。個々の良いところ・強みを伸ばして、その力を発揮できる環境を用意してくれる。イキイキと働いているスタッフが多い病院だと感じます。
(写真・インタビュー・文:MottoBrand 福井勝雄)
看護師 募集中!
三次救急医療・高度先進医療を提供する岸和田徳洲会病院で、あなたの看護師としてのキャリアを輝かせてみませんか?志が高く、職員同士のリスペクトに溢れ、「人が好き」なスタッフがたくさん働いています。少しでも興味がある方は、病院見学からでもお気軽にお問い合わせください!