介護福祉士から、長年の夢だった看護師へ。カテ室での成長を支えた、一緒に学んでくれる先輩の存在

看護師 溝端/内視鏡・インターベンションセンター
介護福祉士として通所リハビリで勤務後、看護師免許を取得。2次救急病院での勤務を経て、2023年12月に岸和田徳洲会病院へ入職。現在は内視鏡・インターベンションセンター(カテーテル室)に所属し、カテーテル治療の看護を担う。
<目次>
・長年の夢だった看護師へ
・岸徳のカテーテル室での仕事
・一緒に学んでくれる先輩の存在
・「てきないかも」がスタートライン
|介護の現場にいながら、ずっと忘れられなかった夢
介護の世界に入ったのは、もともと高齢者と関わることが好きだったからです。地元が高齢者の多い場所で、子どもの頃から地蔵盆でお菓子をもらったり、おばあちゃんたちに囲まれて育ったような環境でした。家でも祖母が訪問介護や訪問看護を利用していて、私が面倒を見ることも多かったので、自然と「高齢者のそばにいたい」という気持ちが育っていきました。
高校を卒業してまずヘルパーの資格を取り、実務経験を積んで介護福祉士の免許を取得しました。通所リハビリテーションで主任として、レクリエーションやリハビリの介助などに携わりながら長年働き続けました。
ただ、看護師への憧れはずっと心の中にありました。祖母のそばに寄り添ってくれていた訪問看護師さんの姿、母ががんを患い、その治療にも看護師さんたちが寄り添ってくれていました。専門的な知識を持って働く看護師さんの姿が、ずっとかっこよく見えていました。「いつかは私も」という思いを胸に、長い時間をかけてその夢に向かい続けて、ようやく看護師としてのキャリアをスタートさせることができました。
|せっかく看護師になったなら、重症患者さんと向き合える場所へ
看護師になってまず選んだのは、自宅から近い二次救急の病院でした。子どもがまだ小さかったこともあり、家から10分もかからない距離にある病院に就職し、終末期の患者さんや透析患者さんのケアを中心に、経験を積みました。
でも、働くなかで「このままでいいのだろうか」という思いがだんだんと大きくなっていきました。重症の患者さんはほとんどいない環境で、せっかく看護師になったのに、できることの幅がなかなか広がらない。「患者さんをしっかり看られる看護師にならなければ意味がない」という気持ちが強くなり、もっと重症患者さんに対応できる力を身につけたいと思うようになりました。
そこで、三次救急を担う高度急性期病院への転職を決意しました。転職活動のなかで岸和田徳洲会病院のことを知り、「ここで経験を積みたい」と強く感じて、挑戦しました。子どもも小学校4年生になり、ある程度自立して動けるようになったタイミングでもありました。

|耳でモニターを聞きながら、目は患者さんを見る。カテ室の世界
入職してカテーテル室(インターベンションセンター)への配属を希望したのは、急変対応ができる看護師になりたいという思いからでした。ただ、正直なところ、カテーテル室がどんな場所かは最初まったくわかっていませんでした。前の病院にはそういう治療部門がなかったので、その存在自体を知らなかったのです。
実際に入ってみると、そこは想像をはるかに超えた場所でした。心筋梗塞で運ばれた患者さんの閉塞した血管をカテーテルで開いていく治療、脳梗塞や急性動脈閉塞への対応、不整脈のアブレーション治療。さらには心肺停止状態で運ばれてくる患者さんへの救命措置、事故による外傷への対応まで、以前の職場では経験したことのない場面が次々と目の前に広がりました。
心カテの治療中は、耳でモニターの音を聞きながら、手は薬剤の準備をして、目は患者さんを見ながら、という状態を常に保つ必要があります。最初はその全部が怖くて、もう頭が真っ白でした。
|手が震えたあの日。続けられたのは周りの先輩方の存在
モニターのアラーム音が鳴っていても、怖くて耳に入ってこない。緊急対応で「早く薬を打って」と言われても、手が震えてなかなか入れられない。患者さんの入室時の観察が抜けていて、いざという時に薬剤投与のルートがすぐ使えない状態になっていたこともありました。
新人の頃は、できないことが積み重なって、「またできなかった」と泣けてくることも正直ありました。それでも続けられたのは、先輩たちのサポートがあったからです。緊急対応があるたびに、先輩が必ず一緒に入ってくれました。そして終わったあと、必ず振り返りをしてくれました。
「今回は耳でモニターを聞けていたか」「入室時の確認は何が抜けていたか」
毎回丁寧に、一つひとつ確認してくれました。
かけてもらった言葉の中で、今でも印象に残っているのは「今回できなかったことは、次にできるようになればいい。ちゃんと振り返りができているから大丈夫」という言葉です。できなかったことを責めるのではなく、気づきを次に繋げることを大切にしてくれました。
「溝端さんなら大丈夫」と言ってもらえると、また頑張ろうという気持ちになりました。
先輩方は、私が「もう続けられない」と心が折れてしまわないようにフォローしてくれていたんだと、今は強く感じます。そのおかげでなんとか続けることができ、少しずつ慣れることができました。

|一緒に学んでくれる先輩がいる
岸和田徳洲会病院のカテ室では、治療中にわからないことが出てきた時でも、その場で質問をすれば丁寧に教えてくれる先輩方がいらっしゃいます。
ある時、電解質の動き(カリウムやナトリウムの変化が心臓に与える影響)について質問した際に、先輩がその場でうまく説明できなかったことがありました。すると翌日、「私も調べてきた」と言って、YouTubeの動画まで使ってイチから説明をしてくれました。自分が知らないことを隠さずに、一緒に学んでくれる先輩がいる。このような素晴らしい先輩に恵まれた環境は、なかなかないと思います。
岸和田徳洲会病院の看護部教育として、認定看護師と実際の重症患者さんのアセスメントを一緒に行うラダー研修もあります。また、カテーテル室には毎月循環器の専門書が届くので学ぶ教材には困りません。ゼロから始めた私でも、致死性不整脈の見方、梗塞部位による症状の違い、心電図変化の読み方など、一つ一つを学んで身につけることができました。
|モニターの音が、怖くなくなった日
入職から2年以上が経ち、少しずつ変化を感じています。以前は意識しないと聞こえなかったモニターの音が、今では自然と耳に入ってきて、気づいたら体が患者さんのほうへ動いている。チームメンバーとの信頼関係も深まって、「ちょっとPVCが出てきたね、気をつけよう」とお互いに声をかけ合いながら動けるようになってきました。
最近は呼吸管理についての勉強にも力を入れています。治療中に突然酸素化が悪化してくる場面があって、その時に「なぜ悪化しているのか」をきちんと理解して対応できなければ怖い、と感じたことがきっかけです。院内のRST(呼吸サポートチーム)で1年間勉強し、院内呼吸ケア認定士の研修も受講しました。
次のステップでは、3学会合同呼吸療法認定士の資格取得を目指し、呼吸に関する専門的な知識やスキルを身につけることで、より質の高いケアを患者さんに提供できるようになりたいと思っています。そしてこれからカテ室に入ってくる後輩たちには、私が先輩たちにしてもらったみたいに、分からないことはちゃんと教えてあげられる先輩になりたいと思っています。

|「できないかも」と思ったなら、それがスタートライン
これから岸和田徳洲会病院を目指す方に伝えたいのは、「自分がしたいこと、できるようになりたいことをちゃんと伝えてほしい」ということです。部署によって経験できることは違います。でも、希望をきちんと伝えれば、それを受け止めてくれる環境がここにはあります。
心カテ室のような特殊部門は、はじめは「私には無理」と思うかもしれません。私もそう思っていました。でも、経験を重ねると体が覚えてくれます。重要なのは、嫌にならずに続けられる環境があるかどうか。岸和田徳洲会病院のカテ室には、優しくて知識豊富な先輩たちがいて、一緒に勉強しながら教えてくれます。
介護からのキャリアチェンジで、看護師になったのが人より遅かった私でも、ここで確実に成長できています。転職を迷っている方に、少しでも参考になれば嬉しいです。
(写真・インタビュー・文:MottoBrand 福井勝雄)
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